祖父にプッカを貰った。
誰でも知っているお菓子です。
そのプッカを祖父と笑い転げながら食べて、
「残りはお家で食べていいよ」
とお土産にして帰った。
帰路。
自転車の上でじっとパッケージを見つめながら、
「ねぇママ。どうしてじーじはあけぐちがあるのにいちばんうえからあけちゃうんだろう」
と呟いた。
見るとそのプッカの箱は、
「開け口」となっているミシン目には目もくれず、
箱の上部分をビリビリと破いて開けてあったのだった。
誰からそんな思想を授かったのだろう。
と私は思った。
「開け口はここから開けてもいいですよって言ってるだけで、
別に『ここから開けなくちゃいけません』って場所じゃないよ。
どこから開けても開けたい所を開ければいいし、
食べられるなら何でもいいとママは思うのです」
捕らわれているのです。
「開け口から開けなくてはいけない」
ということに。
ドキッとしました。
間違ってる、と思いました。
正しいことを知って、正しくないことを知って、
自分が選んで正しいことをする。
それが真っ当な生き方だと思いませんか?
今の世の中、
正しいことを教えられて、正しくないことを否定されて、
自分は無意識に正しいことをしている(と思っている)。
そんな気がします。
大きくなればなる程、彼女が規制され、コントロールされていく。
6歳にもなれば、そろそろその足音が聞こえてきます。
わかってます。
覚悟しています。
でもザワザワします。
彼女と同じ年の子達が、最近使い始めている言葉が妙に耳に残ります。
「○○しちゃいけないんだよ! 」
「△△するじかんじゃないよ! 」
「先生! ××くんがこうしてます! 」
その否定度合いを判断も出来ないまま、当たり前のように使います。
その長い「制約」「一般的モラル」という杓子定規のトンネルの入口はきっと今目の前にあるんだと思います。
その長い長い長~いトンネルを抜けて、
くぐりぬけて出来た大人としての彼女が、
願わくば、
「お菓子の開け口を使っても使わなくてもどっちだって食べれればいいじゃない」
と思える女の子になっていて欲しいと思います。
「開け口を使わねばならない! 何人も、開け口を使わないヤツや許さない! 」
になっていないように願います。
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