娘は学校の有志を募ったチームで、スポーツをしている。
今度、それの大会があるのだ。
先日、
「いよいよ大会だね。大会は何人が出るの?? 」
と聞いたら、
「20人かな」
と。
「試合は何人でやるの? 」
「んと、5人」
「そうなんだ。じゃぁ、レギュラーを取るのは至難の技だね」
と言ったら、
「そういうのはないよ。全員出るの」
と返って来た。
え??
よくよく話を聞いてみると、
全ての子が均等な時間数出れるように割り振られているとの事。
上手い子も下手な子も、出る時間数は全く同じ。
練習を必死に頑張ってる子も、遊び半分でだらけている子も出る時間数は全く同じ。
先生曰く「平等」と言う事らしいのだが、
ぶっちゃけ私、それ、違和感を覚えたのよね。
だってさ。
人生において「人と全く同じ」なんて事がこの世の中にある?
足の速い子もいて、遅い子もいる。
顔の可愛い子もいて、残念な子もいる。
てきぱきはきはきしている子も居れば、おっとりマイペースな温和な子もいる。
そもそものスタートがてんでばらばらじゃないの。
その部分だけを見れば確かに不平等かもしれないけど、
人は何かがなければ必ず何かを持っているものでしょう?
今、娘達は何を持っているかを模索して行く事を学んでいる最中。
見方を変えたり、考え方を変えたり、
時には「何もない!! 」と絶望しながら自分の長所を磨いていっているのだと思う。
娘のチームの中にも、
幼稚園時代から全てをサッカーに捧げているようなスポーツ少女もいれば、
オシャレだけに命をかけている子だっている。
そういう子達を、
「平等」と称して出場時間を等しくする必要性がどこにあるのかな?
と私は思ったんだよね。
勿論、全ての子を出してあげて欲しいとは思う。
特に6年生はこの試合が最後なのだし、
そこら辺はチームの勝敗以上に
「みんなで一緒に戦った」
と言う思い出を残してあげたい。
でも、「出場時間を等しくする」必要まではないんじゃないかな。。。。
学校の方針なのでその辺はもう口を出す事じゃないけど、
ちょっと「え・・・」と思ってしまった話でした。
不安になったので、試しに、
「上手い子がずっと出てたら、ずるい! ってあなたは思う? 」
と娘に聞いたら、首を振った。
そうだよね。
○ちゃん(サッカーが上手な子)は、勿論才能もあるだろうけど、でもそれ以上にうまくなる為に遊ぶ時間や寝る時間を削っている事を娘は知っている。
娘自身だってそう。
やってもやっても上手くならないピアノに泣いたり喚いたりして多大な時間を費やして、それでも一生懸命やるから上手くなれるし、そうする事が大切である事をちゃんと知っている。
誰かが何かを出来る事を、
「才能がある」
とか、
「向いているんだよ」
とかいう言葉で片付けず、
「どこかで自分と違う何かをしていた」と捉える事が出来ている。
そう思える子に育ってくれた事に、
ほっと胸を撫で下ろしたのでした。
何はともあれ、楽しい思い出が出来てくれる事を願うばかりです。
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