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エヴァンゲリオンのカラオケを歌う芸人のテレビを観ていて、
「あ! エヴァンゲリオンだ! 」
と娘が言ったので、
「ねぇねぇ、もし最初からあったら一緒にアニメ観る? 」
と聞いてみた。
「うーん・・・わたしはいいや」
チーン・・・・orz
こういうことが、最近は割りと多くある。
例えば先日の航空祭も娘はそれなりに楽しんでくれるけど、
結局は
「おつきあい」
なんだよね。
「楽しかったね♪ 」
とは言ってくれるけど、
ブルーインパルスの為に11月3日を心待ちにしたりはしない。
嬉々としてTシャツを買いたい買いたいと騒ぐ母親を、遠い目をして眺めてくれる。
「Bellもいる? 」
「うーん・・・別にいい」
って・笑。
それはある意味でとても正しいことなんだと思った。
娘は娘であり、私とは違う。
「親子そっくりだね」
なんてよく言われるのだけど、
娘が好きなものと、自分が好きなものは必ずしも一致しないのだ。
これは文字にするととても当たり前のことなんだけど、
ずぅっと一緒に居て、
人格がまだ整っていない頃からずぅっと一緒に居て、
私が娘の事まで色々決めている時代をずぅっと辿ってくると、
なんとなく「親子で一緒」が「当たり前」のように思えてしまう。
良い意味で、今、乖離しているんだろう。
最近、それもそれで楽しいなぁと思うようになった。
だって娘が星が好きだと思わなければ、
私に
「毎月プラネタリウムに行く」
という発想はない。
天井に穴が開いたようなツブツブ(にしか私には見えない・苦笑)を眺めてうっとりしている娘。
とてもシュールだと思うけれど、
この感覚は多分、
私がブルーインパルスを心待ちにしている姿を娘が見るのと同じなのだろう。
そして、
ゴールデンウィークに行った「りぼんフェスタ」も、
娘が好きだと言わなければ私は一生経験しないままでいただろうと思う。
私がいることで、娘の世界が広がるのなら、
同じように、
娘がいることで、私の世界が広がるのだ。
これはとても嬉しいことだって思った。
私は娘に合わせることが苦だとは思わない。
娘が好きなら天井のツブツブだって観に行くし、
アニメフェスタだろうとなんだろうと一緒に行く。
と同時に、
娘も私に合わせることを苦だと思っていないように思う。
だから、
特別興味がなくてもにこにこして航空祭に一緒に来てくれるし、
きっと
「絶対Bellと一緒に観たい!!!! 」
と駄々をこねればエヴァンゲリオンだって一緒に観てくれるのだと思う。
そうそう。
私には持っていない音楽の世界を垣間見せてくれるのも、娘だね。
今までは【私→娘】の一方通行だった流れが、
段々と【私←→娘】となっていく。
そんな事実がとても嬉しいと思う今日この頃でした。
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