「あのね、うるさいところにいると頭がいたくなっちゃうの」
先日、娘が言った。
その日、休み時間に遊ぶ件で男子がもめたのだという。
そこで教室で話し合う事になったのだが、
結局、ただの言い争いにしかならなかったんだとか。
罵詈雑言(かどうかはわからないけれど)の嵐、
怒鳴りあう声、
敵意を見せる顔、
そういう雰囲気で教室全体が一杯になる。
それをじーっと聞いていた娘。
段々頭がいたくなってきたという。
呟いたのはその時一度だけだけど。
普段言いたいことの半分以上を胸にしまっておく娘。
おそらくその回数は一度だけではないのだろうと推測される。
我が子は弱いのだろうか。
人は競い合う生き物であり、
自分の主義主張を貫く為に戦うものなのだろうか。
私はこの事態を、軽んじてしまうわけにはいかないんじゃないかと思った。
実は昨年度、
娘の学年は同じような理由で数名の児童に不登校の症状が現れた。
隣のクラスがとってもにぎやかなのは娘の話からも授業参観で覗いた雰囲気からも知っていた。
先生が大変そうに頑張ってまとめようとしているのも見ていた。
けれど、
隣のクラスのお友達はある日、学校に行く事が出来なくなった。
どうしたのかと声をかけたら、
「クラスの中にいられない」
という返答と、
「特別誰かがイヤなわけでも、いじめらたわけでもない」
ということ。
ただ単に、
「クラスの中にいられない」
という事実。
学校に行こうとすると体調が悪くなるんだそうだ。
そして今年度のクラス替えで、
娘がそっちの賑やかな子の多いクラスになった。
こういう問題はうまく言えないけど、
戦って勝とうとしている人はその中に居てもそういう雰囲気に気付かないんだと思う。
その場に居たくないとか、学校に行きたくないというと、
どうしても「弱い」というイメージを受ける。
でも本当はそうじゃないのかもしれない。
敵意を見せようと思って相手にぶつけることは、
敵意を発した側が自由に行うことが出来るし、
その敵意を受けてやろうと思える人にはその場で繰り広げられる展開に物怖じしないけど、
敵意を見たくないと思っている人間は、
結局その敵意を目の当たりにしたくないから、
その敵意を回避する方法を探す時、
どうしたって「その場にいない」方法を取るしかない。
その方法を「弱い」と言うのは敵意を真っ向勝負で受け取るべきと思う人で、
「受けたくないからその場からいなくなる」という選択肢を取る人は、
結局そういう人からは「逃げた」という印象になってしまうのかな。
我が子は本当に気が優しい。
この世で一番怖いものは一人になることでもなく、
オバケでも幽霊でも暗がりでもなく、
とある人の本気で怒った顔なんだと言っていた。
(誰にも言わない約束をしたので内密にしてあげてね)
自分の感情を暴露して自分の希望を叶えるより、
自分が我慢して周囲が円満ならそれでいいのだと思える。
どんなに私が娘のミスを注意して怒ろうとも、
私がミスした時、
娘は決まって
「たまにはそういうこともあるよ^^ 」
と頭を撫でてくれる。
勝気な私からは到底理解出来ない行動だけど、
「困った部分は沢山あるのは知っているけど、この子のこのほんわりとした部分は最大の美点だよ。もしもオマエがこの部分を消し去る教育をするなら、それは親として大きな罪だと思う」
と父が言っていたように、
この子のこういう気の優しい所はしっかり守ってあげていきたいと思う。
そんなわけで。
日中仕事に出ている私がしてやれることは早めに万全のフォロー体制を整えておくこと。
すぐに頻繁に学校に通っているママ友さんに事情を説明し、
日中は娘のことも見守ってもらうことにしました。
そしてもしも症状が続くようなら、学校の先生、カウンセラーの先生に早めに連絡をすること。
残り3ヶ月のクラス生活が楽しいもので終われるように、
家庭でもしっかりみてあげようと思います。
幸い、その後は特別頭痛を訴える事もなく元気に通っているので、
このまま何事もなく終えられるといいなって思います^^
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