映画は終わってしまったので、小説を読んだ。
ファンタジーはあんまり得意ではないのだけど、
ちゃんと読了出来た。
面白かった!
思えば私は小さい頃からずぅっとずぅっと物語が好きで、
今までにかなりの量を読んできたと思う。
そういう点で言えば、
私は最後まで読まなくても大体の小説の物語の顛末と言うか、
ストーリーの筋書きがある程度わかってしまう。
今回のペンギン・ハイウェイも、
「あぁ、多分こんな感じかな」
そういう青写真のようなものがあって、
その通りに進んでいく物語を追いながら、
最後に、
「やっぱりな・・・」
と思うお話だった。
別にそれがつまらなくて読むのを止めた事がない事を思えば、
私にとって物語がなんとなく先読みできようがそうでなかろうがあまり気にはならないって事なんだろう。
登場人物の1つ1つの台詞が自分の人生経験に活きる事もあるし、
感銘を受ける事もある。
そういうのを楽しんでいると言う部分も否めないだろう。
ただ、最近娘と観たドラマや読んだ小説の話をする事が多くなったので、
要所要所でそんな話をする事も多くなって、
なんだか私はどうして本を読むのだろうと言う哲学的な事をちょっぴり考えてしまったのだよね。
例えば特に娘がとてもハマッている文豪ストレイドッグス。
娘と語り合えるように、私も読む。
最初に娘が学校の図書室で借りて読む。
そしてその後私が読むパターンなんだけど、
この手のラノベは物語が非常にわかりやすい。
物語の中盤くらいから、
「犯人この人でしょ」
「こんな結びでしょ」
みたいなのがわかってくる。
娘は先に読んでいるので、
先に娘にそうやって予想を話す。
「え!!!! なんでわかるの?! 」
と驚いてくれる・笑。
「読んでる本の量が違うのだよ」
と親の威厳を示すのには充分だけど、
ここで冒頭の問いに立ち戻るわけだ。
私は先を薄々感じてまでどうして「物語」を読むのだろう?
この前ふとそんな事を考えていて、
考えて考えてぐるぐるしてたら、
ペンギン・ハイウェイのお父さんのアドバイスみたいに、
駅のホームではたと気付いた。
エウレカ!!!
それでも私は、物語にとても期待してるって事なんだと思い至った。
だって生涯忘れられない名作と思っている「永遠の0」は、
私のそんな予想を遥かに上回って人生で初めて
「時を忘れて夢中で読んだ本」
となった。
その時の高揚感は今でもはっきりと思い出せる。
私は小説でもドラマでもアニメでも、
自分の予想の見解の遥か上を行く物語展開だった時や、
まさにドストレートに胸に響く表現や行動なんかに行き当たると鳥肌が立つ。
その一瞬はもう床を転げまわりたい程の興奮に駆られ、
「そっかぁぁぁぁぁぁ!!!! 」
「そうだったかぁぁぁぁ!!! 」
と大声で叫びたい衝動に駆られる。
その感情をどこかで密かに心待ちにしてるんだろう。
そんなとりとめもない事を久しぶりに必死に考えた哲学の秋なのでした。
にほんブログ村
[5回]
PR