学校の授業で
「公共施設におけるバリアフリーなどを発見する」
というグループワークがあるんだそうだ。
グループを決めて、
それぞれが駅や児童館などに赴き、
自分達でその施設がどんな工夫をしているかを調べ、
(例えばスロープとかエレベーターとか)
まとめて発表する。
というもの。
ところが。
学校の授業の一環ではあるが学校の授業中には行わず、
放課後に自主的に集まってその施設の見学に行くというものらしい。
娘のグループは最寄り駅になったとその時報告された。
そして。
そこまでは理解したが、
「みんなと予定が合わなくて、はずされたから」
と我が子が一言。
ん? と思い、
よくよく聞いてみる。
つまり、
グループの中のお友達Aがある曜日1日しか空いておらず、
娘はその曜日だけどうしても都合がつかないんだという。
その曜日はピアノで、
他の習い事ならなんとか調整も可能だったが、
ピアノだけはいかんともしがたい。
「Aちゃんはなんとかがんばれば土曜日も空くかもしれないって言ってくれたんだ。でもうちは土曜日・・・用事あるでしょ」
と。
そうだった。
確かに土曜日はお出掛けしようと約束していた><
学校の事なのだし娘が優先したいなら出掛ける予定は無理をしなくていいと言ったけれど、
「いいの。みんなが見てきてくれたことを教えてもらう約束したから」
という。
なんだかちょっと釈然としなくて、
「じゃぁ別の日に一緒にママと見に行ってみる? 」
と聞いたけど、
「別にそこまでしなくて大丈夫」
と言うし、
何より、
「Aちゃんはどうしても行きたいんだって。Aちゃんにそう言われたの。それで、わたしは別にどっちでもいいからいいよって言ったの。だからAちゃんじゃなくてわたしが行けない日になった」
と言っていた。
なるほど。
真意はわからないよ?
わからないけれど、
娘ももう10歳で、
その10年の間に構築してきた友人関係があるはず。
そして。
クラスの中の立ち位置というものがあるんだ。
Aちゃんがハナから自分の仕切りで
「わたしがいける日! 」
と娘を切って来たのなら私も思うところがあるけれど、
娘とAちゃんが話し合って、
意見を交し合って決めたことだと娘が言う。
だとしたら。
それはもう私がとやかく言う問題ではないのだなと思ったのだ。
「きっとAちゃんは車移動が多いから、駅に興味津々なんだよ。ウチは車ないし駅ばっかりなのにね・笑」
と笑ってその場を納めた。
後日。
そのAちゃんのママから、
「みんなで駅に行くことになったでしょ。Bちゃんママがその調べた事をマップにしてくれるってAが言ってたんだけど・・・私達は何もしないでいいのかな? 」
と連絡が来た。
その際に、
・協力する気持ちはあるが他に親が介在する事が出来るとしたら引率位しか思い浮かばないこと。
・娘はそのグループワークには行かないので引率も出来ないこと。
を伝える。
先方からは、
・引率は不可であること。
・グループワークに行かないという選択肢はないこと。
を返答され、
事の次第を説明するに至った。
みんなで一緒に行けるのが最善なのは百も承知だけれど、
放課後はそれぞれの用事が忙しい。
私は致し方ないことだと思うのだ。
どうしても全員参加で事をさせなければならないと学校が言うのなら、
それは学校の授業時間内でやって欲しい。
結局その場は、
「私達が出来る事は他にないから、今度顔を合わせた時にでもBちゃんママにお礼を言おう」
と収まった。
そしてまた後日、
今度は
「グループワークの日が別曜日になった」
とAちゃんママから再び連絡を頂くことになった。
○曜日になったが、
Aとそのお友達は習い事へそのまま向かうので帰り道Bちゃんと2人だけになっちゃうけど良いかな?
というもの。
事の次第はわからないけれど、
恐らくAちゃん親子の間で色んなお話をしてくれたのだと思う。
気を遣わせてしまったことを謝罪すると、
「みんなでいけるのが一番良いってAも悩んでたからこれが一番の方法だよ」
と言ってくれた。
娘はあまり話したことのないBちゃんと常々接する機会があるといいと思っていることから、
今回の一件はまさに願ったり叶ったり。
行けないと思い遠慮したグループワークにも参加出来る事になった。
ホント・・・ちゃっかりさん・笑。
面白い事にその人その人の立ち位置というものは、
本当にあるんだなぁと今回の一件で強く思った。
だって、娘は何も要求していない。
私も何かをしてあげるつもりはなかったのに、
それなのに結果的に周囲の思惑が少しずつ動いて、
結果、調整的に丸く収まった。
世の中は、多分そういうことの連続なんだろう。
娘の帰来の性分である「事なかれ主義」を心配していた時分、
『我慢ばかりの人生になってしまうのではないか』
と憂いていた事があったのだけれど、
結局の所、
彼女が何も望んで動いていなくても、
結果的には彼女の気持ちを慮ってくれる周囲が動いてくれるのだ。
勿論彼女がそう望んでやったわけでも、
何かを計算してそういう我慢をしたわけではない。
だからきっと、
色んな人が見過ごして本当に我慢して終わるような出来事も、
彼女の中には色々あるのだとも思う。
でもそれだけの人生になるのかと言えば、
必ずしもそうではないんだろうな。
「私はこうしたい」
とハッキリ言える子には言える子なりの我慢とメリットがあるし、
「私が我慢するよ」
と言う子にはそういう子なりの我慢とメリットがある。
トータルしてどちらが得だとか言う事はナンセンスな命題だとその時思った。
娘は娘でそれで良い。
怠けることとはまた別の意味でただひたすらに、
自分に無理なく生きていってくれたらそれでいいのかもしれないと、
そんな風に思った出来事だった。
ちょっとよくわからないかもしれないけど、
何が言いたいのかってのは、
「人生、結局なるようにしかならない」
って事なんだと思う笑。
そして今回に限って言えば、
私以外にも娘を尊重しようとしてくれる存在があること。
Aちゃん親子に感謝したいなって思った。
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