丁度私も娘の頃やった【ごんぎつね】。
物語は不毛で、救いがなく、聞いていて滅入るので実はあまり好きな話ではない。
が、
「なんで撃たれたの? 」
の答えを、
「ごんは兵十の気持ちを考えたけど、兵十はごんの気持ちを考えてあげなかったから」
という意見をどこかで見掛けて、
自分の中の想いがとても変わったように思う。
その人は、
「ごんは確かにイタズラが好きで、それが原因で心に残る罪悪感を持った。
それからごんはずっと一人ぼっちだったから、
お母さんが亡くなって一人ぼっちになった兵十の気持ちが凄くよくわかった。
だから、栗やマツタケを兵十に届けた」
と言っている。
一方、兵十は
「ごんはイタズラをするという固定観念のみに捕らわれて、
毎日栗やマツタケが運ばれるのを【神様】と自分に都合よく解釈する。
そうした結果、ごんを見つける=悪い事と思い立ち、
ごんがどうしてそこにいるのかを考えず、火縄銃を構えた」
確かにイタズラばかりをやっていたごんにも原因はあるのだろう。
けれど、じゃぁ悪いことばかりする人には救いがなくて良いという事だろうか?
「改心」という言葉は、都合よく切り捨ててしまって良いのだろうか。
殊更、子育てにおいて人は兵十になる。
「昨日、宿題をやらなかった」
から、
「今日も宿題をやらないつもりでしょ! 」
みたいな怒り方。
その子が宿題をやった事実を、
「どうせ今日だけでしょ」
みたいな解釈。
ごんみたいに言葉足らずで、行動がヘタクソな娘に、
自分も気をつけなくちゃいけないなって思った出来事でした。
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