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36歳のシングル&ワーキングマザーLeafと、 13歳の女の子・Bellの日常日記。 「メリハリのある生活」をテーマに日々節約に励み、 遣う所を見極めて遣う!! オンとオフの切り替えを大事に日々を過ごしています^^
これから載せる日記は、
2012.3.12に書いたものです。
震災から1年。
私が書いたもの。

時間がある人は読んで下さればと思います。




大震災から1年。
正直、早いなぁと思います。
「早い」と思う自分は、結局大した苦労をしていないってことなのでしょうね。
今尚苦境に苦しむ人たちが居る中で、
すでに「過去」として過ごしているのだと思います。


昨日色んな特集がやっていましたね。
1年の節目です。
暖かい部屋でのんびりとコタツに入りながらそんなTV番組を観れる私。
なんか自分にちょっと腹が立ちました。
忘れてはいけないのですね。
原状回復が目覚しいと賞賛を浴びた日本の、悪しき所だと思いました。
綺麗に回復したからもうおしまい、みたいな。
もう少し、北に想いを寄せる生活をしようと改めて思います。
東京に居る私が何をしても偽善だけど。
せめて自分に腹が立たない生活をしようと思います。




さて。
だからと言って震災が私に何も影響を及ぼさなかったかと言えばとんでもありません。
むしろ、あの震災のおかげで未来予想図が大きく改変させられてしまいました。

震災は私に物凄い孤独と、途方もない責任の大きさを痛感させました。
あぁ私は独りなんだと何度も思ったことがあるのだけれど、
あの時に感じた孤独感はかつてない程に大きなものでした。


例えば震災直後、皆も家族や恋人の無事を一番に考えたと思います。
私も勿論考えました。
Bellは無事か。
怖い想いをしていないか、泣いていないか、怪我していないか。

幸いなことに彼女はその時間幼稚園に居たので、
怪我や対応については比較的楽観視しておりました。

事実、親と一緒にいたBellの友人の大半は泣いて喚いたそうですが、
幼稚園に居る子のほとんどは涙さえ見せない子が多かったといいます。
怖くなかったのです。
震度5強の震災を受けても、
きちんとした対処が出来ていれば恐怖心はさほど植えつけられるものではないということの良い例だと思います。


私はその震災を社用の外出先で受け、会社まで1時間歩きました。
電車が動いていませんでした。
「ヘタレ電車めが」
と思っていました。
大した揺れでもないだろ、的な。
しっかり考えてたわけではないですが、自分的には震度4位の感覚だったんだと思います。
だからそこからまっすぐ家に帰らず、一度会社に戻ることにしたのです。

何度か大きな余震があったそうですが、
私はとにかく必死に歩いていたのでほとんど気付いておりません。
周囲が騒然としていたので色々気にはなっていましたが、
状況を知った所でどうなることでもないと腹を括ってました。
情報は帰社してからで良い。
とにかく今は会社に着くことが先決。

会社に着いて、惨状の凄まじさをネットで知り、
急いで幼稚園に電話をかけました。
道々携帯電話でも電話をしていましたが、繋がることはありませんでした。
まぁ、当たり前ですね。



何十回と電話をかけて、やっと繋がった最初の第一声が
「すみません、電車が停まっちゃったみたいなので時間通りにお迎えに行けそうにありません」
でした・笑。
何て呑気なんだろう。
その時に出たS先生は
「現状が現状ですので何時になっても大丈夫です。
 園の子は全員無事ですので、
 とにかくご自身が安全に帰って来てください」
とおっしゃってくれました。
とても暖かいお言葉のように聞こえました。

けれど、Bellの心情を思うと一刻も早くお迎えに行ってやりたい。
その後やっぱり何十回も母に電話をかけ、迎えに行って貰うことにしました。



それで固定電話を必要としなくなった私は会社から帰ることにしました。
上司が来て
「社長が帰れなくなってしまったからお茶を出せ」
とか
「4階が偉いことになってるから片付けて来い」
とか社用で外出をしていた私に「大丈夫だった? 」の一言もかけずにわぁわぁ言い出したので、
「気遣いも出来ないなら知るか! 」
と思って
「時間なので帰ります。いいです歩きますから」
と早々に退散しました。


その後4時間位歩きました。
不思議と疲労感はなかったのですが、歩いている途中で色んなことを考えました。
ちょっと冷静になったんでしょうね。

これからどうしよう・・・は勿論でしたが、
何より私に着信がなかったことに打ちのめされました。

母には私が先に電話をしていたこともあるのですが、
誰も私の安否を確認しようとはしてくれてないんだなぁと、
必死になって私の無事を願ってくれる人間は居ないのだなぁと痛感しました。


その後も何日にも渡って沢山のメールが入り、
安否を確認するものや自分の被災時の状況を知らせるものがありましたが、
どれもしらっとした気持ちで読みました。
ダークな気持ちで一杯でした。

離婚して生まれて初めて、強い後悔を覚えました。
一人で生きていくとは、こういうことなのだと改めて知りました。



その後、原発問題があって、米や生活物資の困窮問題があって。
正直困っていました。

6時間近く歩いて帰ったことも精神的なダメージだったんだと思います。
月曜日には38度以上の熱を出し、2日間寝込みました。
回復して次に出社する為に電車に乗ったら、酷い吐き気に襲われました。

でも行かないわけにいきません。
地震の影響で会社を休んでも補償はしてくれませんが、
地震があったからと言って家賃を免除してしてくれるわけじゃないんです。
私が稼がなくちゃいけません。


幼稚園は欠席者が急増し、
ママ友から続々とお休みメールが届きます。
疎開しますメールも届きます。

正直、苦しかったです。
呑気に子供のことだけ考えてるママが、恨めしく、ねたましかったです。


だって私は西に行けません。
放射能が気になっても、娘を守る為に一日家の中に置いてあげることも出来ません。
余震を気にして、傍についててあげることも出来ません。

そんな状況でBellを一人幼稚園に置いていく事が物凄い負担になり、
電車に乗ると涙が溢れました。

どうしてだろう・・・。
どうして・・・。

何が何を「どうして」なのか自分でもわかりません。
が、ひたすらに頭の中に「どうして」という単語が浮かんでぐるぐると回っていました。
何も考えてないのに、頭真っ白のままで、「どうして」と泣きました。


そして人間の生死について真剣に向き合わなくてはならない東北の人達を想うと、
こんなちっぽけな問題で悩んでいると口に出すことが出来ませんでした。
だってBellは生きてます。
私も生きているし、身内友人その他全ての人間が無事なのです。




なんとか前向きに、なんとか明るく。
なんとか・・・。

熱を出した日にママ友がBellをお迎えしてくれ、
「買い過ぎちゃったから・・・」
と食パンを持たせてくれました。

疎開したAちゃんママ、Bちゃんママが
「自分の気が済むから」
と疎開先からお水を送ってくれました。

ママ世論が
「なんで幼稚園がいつまでもやってるの?
 早く休園した方が良いんじゃないか・・・」
的に傾いていて、
私は密かに怖くて怖くて(だってそれでは仕事が出来ません)夜に何度も起きていたのですが、
「幼稚園は震度7にも耐えられる構造です。
 私達は絶対に園を閉鎖しません」
と宣言してくれました。
(自由登園にはなりました)

お米に困った私に、こっそり分けてくれた友達も居ました。
励ましのメールも、SNSも、
自分のマイナス思考に負けない為に、
毎日毎日良いことを意識して拾い集め、
繰り返し声に出して読んでいました。


「でもどうせ結局私のことなんてどうでも良いんでしょ」
そんな気持ちに負けたくなかった。



同時にたかだか東京で被災した私がこんなに打ちのめされているのだから、
さぞかし東北に住む人間の精神ストレスは半端ないだろうとも思いました。
出来る限りのことをしたいと思った。
結局何も出来なかったけど・・・。



そんな長い長い葛藤でした。

輪番停電がいつの間にかなくなって、
色んなお店が通常営業になって、
そうすることによって次第に自分の中のいじけ虫が消えていきました。
気付けばすっかりいつもの私。
いつも通りの日常に戻っていきました。
なんだったんだろう?
って思う位、感謝をしながら生きています。


ですが、震災を受けて。
当初、学童に入れないで家で留守番をさせる予定だったBellの小学校生活を見直しました。
携帯電話を持たせてあげる代わりに、家で留守番をさせてあげようと思っていました。
そうすれば友達と自由に遊べるし、友達と約束がなければ実家に行くことも出来ます。
何より私自身「学童に入れる」ことを快く思っていませんでした。
「学童」という「制約」をしないで、もっと自由に、もっと自立した子でいて欲しかったのです。

が、大きな天災に見舞われた時のことをリアルに思い描けるようになった今、
一人で家に残すことに物凄い抵抗感を覚えました。
あの地震、2年遅かったらBellは一人で家に居る時に起こっていました。
1年生の彼女に自分で的確な判断をしろと言う方が不憫です。
そして仮にその天災でBellがどこに居ても命を落とすとしたら、
一人でどうして良いかわからずパニックのまま死んでしまうより、
誰かに守られ、誰かと一緒に死んだ方が幸せです。



更に今までギリギリの生活をしていました。
経済的安定より、幼児期の子供と寄り添う生き方を望んでいた為です。
Bellが幼稚園を卒業するまではこの生活を崩さないつもりでした。
震災でそれも悩みましたが、結局そのスタイルだけは譲れませんでした。
だからその代わり、もう少し家賃の安い所へ引越しをすることにしました。
引越しにはその他理由も沢山あるのですが、
結局の所、震災がなければBellの幼稚園時代に引越しを決行することはなかったと思います。



今年中に職場も変える予定です。
この不況の中、自分の希望がどれだけ叶えられるかはわからないですが、
出来るだけ家の近くで就職しようかなって気持ちが前より強くなりました。
都心で働きたい気持ちも未だ強いので、
これはどうなるかまだわからないですが。。。。
(その後転職をしましたが、結局今はこの時の企業に出戻って働いています)




色んな想いが渦巻きました。
が、結局の所、自分は小さくて弱くて卑屈な人間なんだなぁと改めて思いました。
「自分のしたことに責任を持って」
なんて結局綺麗な言葉を並べてるだけに過ぎない。

けれど、そんな自分に負けたくないなって思ったのも事実です。
あの時そんな気持ちに負けたていたら、もっと苦しい想いをしていたと思う。

結局自分は独りで、独りで生きている。
その事実は変わらない。
それは誰のせいでもなく、自分が選んだことなんです。

でもだからこそ、差し伸べてくれる手がある時に、
ちゃんとした気持ちでその手を取れる人でありたい。


錯綜した想いを抱えていた時、嫌な気持ちをさせてしまってごめんなさい。
そうやって、また一つ一つ築き上げていけようになりたいと思います。






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