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どうやら子育てに行き詰っている。
世間的に見て物凄く「良い子」の我が子。
成績も申し分なく、
体育は苦手ながらも落ちこぼれずに一生懸命ついていき、
クラスでは誰とでも仲良くし、
誰かを嫌う事も、表立って嫌われる事もなく、
わがままや愚痴も一切なく、
先生からも太鼓判を押される我が子。
何も問題がないように見える。
けれど。
その反動がスゴイ。
今年に入って学校の明日の支度をしなくなり、
連絡帳も出さなくなり、
週末に体操着や上履きも持って帰ってこない事しばしば。
(言えばやるのだけど・・・)
物凄く生活が乱れている。
留守番中は家で大量のお菓子を食べ散らかして、
宿題とZ会を放置してマンガとゲーム三昧。
何度言っても改善しない。
それを怒るとトイレに篭る。
世間的に「良い子」を演じてる反動なんじゃないの?
私はそう思えてならない。
その時分の私を見ているような気がしてくる。
当時の私も先生に信頼され、
リーダーシップを取り、
成績優秀スポーツ万能。
なんでも出来て当たり前。
そういう「自分」を演じていた頃の私。
私は無意識にそういう自分を作ってしまい、
中学生になる頃にふと我に返った時にその薄っぺらさに絶望した。
そしてその時はもう「やめたい」と言えなくなっていた。
「辞める」「止める」そういう事に罪悪感を感じる私。
娘にもその片鱗が見えるようで、
なんとなくこのままでいいのかなぁという疑問に駆られる。
思春期とか反抗期とか。
この時期はどんな性格の機微もそんな言葉の中に括られてしまうから。
掘り下げて何に対して「反抗」したいのか。
その事象が思春期と言った一過性のものなのか、
はたまた個人の性分が反抗期と共に露呈したものなのか。
そういう見極めって大事なんじゃないかなぁと思うんだ。
まぁ。
とはいえその「良い子」である事を息苦しく感じてもいた当時の私も、
同時にその「良い子」と言う価値を大事にしていたのも事実なので、
「良い子じゃなくていいんだよ」
と言う言葉はあまり意味を成さないのだよね。
結局、
「頑張って良い子を築き上げたね。でも、いつ辞めたってママは構わないから苦しくなったら投げ出しちゃいなね」
と言うへんてこな励ましをするしかない。
だがしかし。
そういうことで、
「オマエは結局良い子を演じてるだけだ」
みたいなニュアンスを相手に伝えてしまうので、
言わない方が良いのかもしれないなとも思ったりもする。
青春小説とかドラマとかはこういう時、
良い子ちゃんはただひたすら良い子である事を辞めたいだけで、
辞められれば素直に嬉しいと心からの笑顔で笑ってハッピーエンドだから、
良い子が苦しいのに、同時に良い子である事も辞めたくないという現実って、
本当に複雑だなぁと度々思うのです。
なんにせよ、
心の葛藤が、せめて健全なる成長の為であると願います。
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