娘は、今、受験勉強をしている。
ひたすらに知識を詰め込み、出来ない問題と戦い、ねじ伏せたり、敗れたりしている。
やりたいことをやれない不満を溜め、届かないかもしれない不安に苛み、ただ黙々と徒労していく時間に焦り、もがいている。
勉強なんて何の役に立つ?
足す引く掛ける割るが出来れば十分じゃないか!
勉強よりもっと大切なものがあるじゃないか!
そう言いたくもなるだろう。
実際に言われた訳ではないけれど、そろそろそう思っても言い頃だと私は思う。
これ、永遠の議論だ。
ただ、私はこの問いに、既に一つの答えを見つけている。
太宰治「正義と微笑」。
初めて読んだのは10代の頃か?
彼にしては珍しく前向きなこの作品に、私は一つの答えを丸写しした。
それが、画像の部分。
私が偉そうに説く、
「勉強する意義」
だ。
私は彼が大好きだから彼の肩を持つが、勉強するというそのものに価値を見いだせる人であるべきなのだ。
本来、丸が多いとか少ないとかの問題ではない。
こんなことを書く彼も人としてはおおよそ立派な人柄ではないが、それでも愛され、慕われた。
それはやはり、こういうものの捉え方と姿勢故なんだと私は思う。
私はその人の言葉を借りることはできても、自らこの言葉を紡ぐことが出来ない。
それが彼の才能であり、私の浅知恵なのだと思っている。
だからこそ、深く深く考えられる人に娘はなって欲しいと思う。
勉強は、その為のツールだ。
本当の意味で言葉の紡ぎかたを知らない私は、それを娘に伝えることが出来なくてとてももどかしい。
だから娘には「正義と微笑」を読ませるべきだったか、と少し後悔している。
「人間失格」じゃなかったか。。。
でも今の娘の心の奥にまですんなりと入り込めるのは、人間失格だと思ったんだ。
この至極まっとうなぎらぎらとした正しい正義は、娘の心の鎧を突き破ってはいることは出来ないだろう。
だから、とても難しいんだよなぁ。。。。
そんなことを徒然と思いながら、今も塾で頑張っている娘の帰りを待ちわびている。
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