時々、親子はどうしても海よりも深い溝があるんだなって感じる時がある。
それは恐らく相性のような人と人の根本的なものではなくて、立場と言うか立ち位置の問題。
私は子供の頃、
「子供は親を経験したことないからわからない。でも親は子供を経験したことがあるのだから、子供の気持ちはわかるものだろう」
と思っていた。
そんな話をすると、私の親は
「子供の頃の事なんてとうに忘れたよ」
とはぐらかしていた。
だから私は大人になっても子供の時の気持ちを沢山覚えていよう!
と心に誓って思春期を過ごし、そして今、その頃の記憶を沢山持ったまま立派に「大人」と呼ばれる年齢になった。
だから、娘の気持ちが端的に時々わかる時があるんだよ。
そんな時、私の気持ちは2つ存在する。
1つは、
「私が何を話していても、娘には伝わっていない」
と言う気持ち。
この頃の私は、もう基本的に親を邪魔で鬱陶しい存在としてしか認識していないんだよね。
だから何を言っても、心には届かない。
親が間違えてると思えば、
「なにいってんの? 大人の癖に言ってること矛盾してますけどー? 」
って、ケッ( `ー´) って感じだったし、
親が正しくても、
「はいはいすみませんでしたね! 人の気持ちも知らないでペラペラ好き勝手なこと言ってなさいよ」
と思っていた。
だから、何を言っても、例え正論でも、たぶん全部届かない。
と言う気持ち。
そしてもう1つの気持ちは、
「子供が明らかに間違ってることにたいして、例え聞いてなくても、親としてはそれをたださなくては」
と思う気持ち。
やっぱり親ですからね。
子供には清く正しく美しく(?)あって欲しいと思ってしまうもの。
そういうものを、お節介な老婆心でついつい口をついてしまうのです。
言っても無駄だけど、それでも言わないといけないと思う気持ち。
そしてその気持ちの中には、やっぱりほんのちょびっとだけ、自分の想いをどうにか子供に理解して欲しいと思う心が潜んでいるような気がします。
何を言っても無駄だけど、
当時、
「何を言っても無駄だから、好きにすればいい」
と親に言われた時の歪んだ寂しさを覚えているんですよね。
思春期は究極の構ってちゃんなのかな。
そんな風に思いながら、日々お互いの気分や体調によって刻々と変わる接し方の境界に翻弄されています。
お互いの足元におびただしい数の地雷があるような感覚。
でも、歩かねばならぬ。
そんな気持ち笑。
改めて子育ての難しさを実感している今日この頃です。
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