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おはようございます^^
当ブログへようこそ!
このブログはシングルマザーLeafが、
毎日ジタバタ生きている日々を徒然の日記にしているものです。
等身大で率直な気持ちを綴る、とりとめもないものですが、
お時間許す限り、
よければ読んで行って下さると嬉しいです♪
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夕飯の時、娘が言いました。
「今日の授業、中断しちゃったんだよ」
と。
詳しく聞いてみると、
原因は男子のいざこざ。
時系列はコチラ↓。
まず、
週明け、Aくんは掃除当番だったのだが、
突き指をしていたので
「ゴミ捨ては出来ない」
と主張したんだそうだ。
6年生の教室は3階。
ゴミ捨て係は掃除が終わって当番が帰った後、
教室用のでっかいゴミ箱を手で持って1階のゴミ捨て場に行き、
捨ててからまた3階に戻ってこなければならない不人気な仕事の1つ。
Aくんは突き指を理由にその係決めを辞退したのだそうだ。
同じ当番の子の雰囲気は割りと冷たく、
「(当番が出来ないって言うなら)体育も出来ないよな」
とイヤミを言われたのだとか。
そしてまた別の日。
家庭科の調理実習でゆでた卵がクラス分以上に残り、
最後の1つをAくんとBくんでじゃんけんしたと。
Bくんが勝ったのだが、
そこでAくんが
「後出しだった! 」
と主張。
クラスの雰囲気も後出しだったと言うムードで、
結局後だしをしたというルール違反でBくんは失格。
Aくんが卵を食べたらしい。
その時のBくんないし周辺の子らは、
「じゃぁオマエ、野菜も食えよな」
とAくんが野菜嫌いで給食で野菜を残す事に言及し、
イヤミをいったとか。
そういう経緯があり、今回の授業中。。。
BくんらグループがAくんをからかい、
一度はAくんが泣き真似をしながら先生に通告。
Bくんらを口頭で注意したものの、
やはり雰囲気の悪さは変わらず、
なんとなくBくんらグループのからかいが収まらない事から、
Aくんは本当に泣き出し、
授業が中断するという事態に陥った。
さて。
これについてどう思うか。
先生は
「過去の事を持ち出してるとキリがない。今回の件はBらが悪い」
と言う結論を出したらしい。
Bくんらが言い出した事は先生がAくんに注意すべき事で、
Bくんらが言う事ではない。
従って今回の件についてBくん達が悪い。
私の個人的な見解としては、
さすが先生、うまくまとめたなと思った。
先生の言っている事は正しい。
けれど、
「それでBくんたちは納得したの? 」
と聞いたら、娘は首を傾げた。
そうなんだよね。
正しいから良い、間違えてるから悪い。
人間はこれでは納得しない。
今回の件で言えば、
自分の気持ちに正直に行動し、主張したAくんには全く非らしい非はない。
ゴミ捨てを辞退したのも、
後だしを主張して卵を勝ち取ったのも、
Aくんは間違った事をしていたわけじゃない。
でもじゃぁ、
どうしてAくんにみんなの気持ちが傾かないのだろう?
もしもBくんらがおかしくAくんが正しいとクラスの皆が思っていれば、
少なくてもそのからかいの威力は物凄く小さく取るに足らないものになっただろう。
ところがそのBくん達のからかいを不当だと誰かが言う事もなければ、
Aくんに
「あんなの無視しときなよ」
とフォローを入れてくれる人もいなかった。
それはどうしてなんだろう?
娘は言った。
「突き指をしていても、もう片方の手があるんだからゴミ箱は持てるじゃないかなぁ」
と。
「私にはBくんが後出しをしたようには見えなかった。クラスの皆はそう言ってたけど、もし本当にしちゃったのだとしても、きっとわざとじゃないと思うの。仕切りなおしてじゃんけんし直せば良かったんじゃないかな」
と。
私もその通りだと思った。
突き指をしている人間に重いゴミ箱を持って3階までの道のりを往復しろと言うのは、
文字にすると酷な事かもしれない。
でも、きっと、
Aくんを慮る気持ちが誰かにあれば、
「大丈夫? 出来る? 」
と声をかけてくれる人がいたであろう。
もしくは、
「オレ、出来ないから! 」
じゃなく、
「ごめんね」
と言う態度を示すべきだっただろう。
怪我をしているのだから出来なくて当たり前だ。
そういう態度はいくら正当な理由があろうとも周囲の共感は得られない。
Aくんは、きっとそこを誤ったのだと思う。
卵の件にしても、
食べられなかったとしても正々堂々ともう一度勝負しなおせば良かったのだと思う。
負けた後で相手のルール違反を自らが指摘し、
自分に利益をもたらす。
Bくんが本当に不当であればきっと周囲の目がそれを許さなかっただろうし、
曖昧ラインを敢えてつついてまで欲しい卵だったか?
その食べた卵の代償が今回の授業中断なのだとしたら、
そこはAくんが敢えて選んだ道ではないのだろうか。
「良い」「悪い」の二面性で人間はセパレートしない。
そこには常に感情があり、
人間の感情は損得でも善悪でもない。
社会性動物としての人間を考えるなら、
生活習慣、集団行動、
社会の常識の基本的な事を学んだ娘達のそれ以降の教育は、
それら周囲の心情を推し量れる人間、
考えられる人間となるにはどうしたら良いかと言う事を重点的にしていきたい。
正しければ何をしても良い。
不当なら何をされても甘受せよ。
世の中はそうではないから。
なんとなくそんな風な事を議論した夕飯なのでした。
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