「今日ね、Aちゃんが2時間目の途中まで学校を休んだの」
娘は言った。
「Aちゃんはね、学校に来れなかったの」
理由は、
「お前、日本人じゃないくせに」
というような事を男子に言われたとのことだった。
娘のクラスにはざっと数えてパパかママが外国人という子供が5人位いる。
その中で、
Aちゃんはママが外国人、パパが日本人のハーフだった。
先生はAちゃんの一件をクラス全員に説明した後、
「日本人とか外国人とかは関係がない。大きな括りで見ればみんな地球人だし、みんな同じなんだ」というような事を言ったと言う。
なんてくだらない。
私はそう思う。
私から言わせれば、
そのクラスメイトも先生もみんなくだらない。
日本の学校教育の一番の綻びがこういう所だと私は思う。
授業中に席につけない子は「いけない」子。
校則を守れない子は「いけない」子。
人と同じような事を出来ない子は「いけない」子。
学校は、「人と違う」ことで暗黙の劣等感を植え付ける。
どうして「同じ」にしておかないとダメなんだろう?
例えば、
「あの子は授業中にうるさくするからキライ」
という理由を、どうして認めてしまうのだろう。
だって、授業中にうるさくするのもしないのも、
その子をキライだと思う理由にはならないからだ。
授業中は静かにする=静かにしなくちゃいけない=静かにしない子は悪い子=悪い子はキライ
この図式が、
あの子=キライ
に結びつく。
違うんだよ。
あの子の良さは沢山あるけど、
私は授業を静かに聴きたいから、
それを邪魔されるのがキライ。
という事でしょ?
あの子がキライじゃなくて、
あの子がうるさいから授業がちゃんと聞けないことがキライ。
これが正しい。
それなのに日本の教育は、
「人と違う」=「おかしい」
ということを教える。
そんな事を教えられたら、
「日本人じゃない」=「よくない」
みたいになるわな。
「じゃぁさ、先生が言った事をうちに当てはめるとさ。うちはどうしたって両親揃えて他の家庭と同じには出来ないから、家庭という目線で見たら、うちはみんなと同じに出来ない悪い家族だね」
と言ったら、娘は黙ってしまった。
意地悪な言い方をしてしまってごめんね。
だからさ、
私はいいんだと思うんです。
「違う」ことを、
何も「同じ」だなんて理屈をつけなくて良い。
「それで良い」と思うだけで良いのだと思う。
Aちゃんのママが外国人でも、
Aちゃんがハーフでも、
うちがママと娘の2人だけしかいない家族でも。
それでいい。
そう思ってあげない事には、
十人十色、千差万別、
そういう全ての人間に当てはめられる定規を持たない。
みんなちがってみんないい。
あいだみつをはそういうことが言いたかったのではないかなと思うのです。
多感な時に自分ではどうしようもない事由を責められて傷ついてしまったAちゃんが、
1日でも早く「それでいい」と思えるようになってくれることを願っています。
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