先週、ジャンガリアンハムスターのルナちゃんがお空に召されました。
私はお休みの日で、家の掃除をしながら、ひょいとルナちゃんのケージを覗いたら、いつものようにハウスに横たわっていました。
あれ、でもなんか違う、、、?
なんとなく小さく見えて、暫く観察していたけれど、いつも見えるお腹で息をしている様子もなく、耳がピクピク動くこともありませんでした。
あ、死んじゃったのか、、、。
そう思った時、胸一杯に喪失感が広がりました。
悲しい、と言う感情とはちょっと違うのかも。
虚無感、というか、やりきれなさ、というか。
なんだかうまく表現できないけれど、胸の中一杯に苦い薬を飲んだ後の味が染み渡っていくような感情でした。
実はね、ちょっとどこかでホッとした自分もいます。
以前日記にもしたけれど、
ルナちゃんは一ヶ月ほど前から足を引きずって歩くようになっており、それは日に日に悪化していきました。
うまく歩けない。
立ち上がっても、バタンバタンと音を立てて倒れていました。
真っ直ぐ歩けず、右に右に寄ってしまうため、同じところをくるくる回っていました。
せめて痛みがないなら、、、。
そう願って聞いたお医者さんにも、
「痛みがないわけはない」
とはっきり言われてしまいましたし、
ルナちゃんはここ数週間、
ずっとずっと食べ続けていました。
多分、栄養が取れていないんでしょう。
沢山食べているのに、どんどん痩せ細っていく。
元気な頃は全くといっていいほど飲まずに逆に心配になった程の水も、足を引きずるようになってからはガブガブ飲むようになりました。
身体の中で何かが変わっていってるのだけは確実にわかりました。
でも、出来ることは何もないとお医者さんは言う。
薬も注射も何も出来ない。
だから私たちはせめて、いつでも好きな餌を好きなだけ食べられるように頻繁に餌を取り変え、新鮮なお水を用意しました。
でもルナちゃんがなくなる数日前、娘が
「見てると辛そうで可哀想だな」
とポツリ呟きました。
そうだよね。
私は返しました。
「あのね、動物の中で死にたいって思うのは人間だけなんだよ。何か辛いことに直面したり、痛かったり苦しかったりする時でも、人間以外の動物は死んじゃいたいなって思うことはないの。いつでも生きたいって思ってるんだ。ルナちゃんも今、痛くて大変なのかもしれないけど、それでも生きてたいって思ってる。そうやって頑張って生きてるルナちゃんを、私たちはちゃんと見て、そのルナちゃんの頑張りを覚えててあげなきゃって思わない? 」
これは私が小学生の頃、重い病気でもう先が長くないと宣告された飼い猫に対して、安楽死を願ったおばあちゃんに獣医さんが放った言葉でした。
その動物病院では安楽死は決して受け入れず、もしもどうしてもそれをお望みなら他の病院に言ってくださいと進言していました。
私は横で聞いていて、痛烈に印象に残ったのです。
娘は私の話を聞いて、頷きました。
「そうだね」
それから数日後でした。
だから。
私も娘も多分同じ気持ち。
悲しみの涙は出ない。
でも、言い様のない感情はそのまんま、心に在る。
学校の木工作で、ルナちゃんの為に空色の台を作ってきた娘。
まだ主もいないのに、空っぽのハムスターかごを眺めていた娘。
ハムスターが来る日を、まだかまだかと待ち焦がれていた3年前の娘。
ハムスターをお迎えした帰り道、来る前から決めていた名前を止めて、
「この子、ルナちゃんにする。だって、今日、凄く月がキレイだから」
と言った娘の声。
通り過ぎた3年間はあまりにもあっという間で、毎日可愛がってもなくて、お世話もお掃除もめんどくさくなって、でもこうやっていなくなった時、思い出すのは楽しかった事やどれだけ楽しみに待っていたかと言うことばかりで、人間はかってなもんだなって思うけど、それでもルナちゃんは小さくて可愛くて、ふわふわで愛おしい私たちの家族だったなって思うんです。
少しの間一緒にいてくれた家族。
一生懸命に生きてくれてありがとう。
ゆっくり眠ってくれたらいいなと思います。
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